72への道@Thailand
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バンコク 1992年
ゴルフネタのブログなのですが、最近はバンコクネタの内容ばかりです。
仕方がないといえば、仕方がないのですが、個人的に書かざるを得ないと思い、書いています。

個人的に、今の暴動の前に記憶としては、1992年5月に遡ります。
最初にタイに駐在していた時期です。
この暴動は、5月17日~19日の3日間です。奇しくも月曜日は5月17日です。

公式発表では市民50余人の死者、1,000人近い負傷者です。
隣に住んでいたNHK記者の方なのですが、服が血だらけになって帰宅したと言っていました。(返り血と思います)

1991年2月に軍がクーデターを敢行、憲法を無効化しました。クーデターはよくある話だったので、さほど驚きはありませんでした。
スチンダー前陸軍司令官兼国軍最高司令官は、首相にはならないと公言していましたが、1992年4月に首相就任発言を行いました。
これに、直接市民による首相退陣要求運動が立ち上がりました。
1992年5月の「流血の惨事」です。
現在黄シャツの幹部でもあるチャムロン前バンコク知事が5月4日に王宮前広場でハンスト宣言をしました。
チャムロン氏は、当時バンコクでは絶大な人気でした。
。 退陣要求の市民運動が行われて、多くの人が王宮前広場に集まりました。今、赤服たちが集会で集まっている人の比ではありません。夜間外出令も出ました。
軍がデモの人たちへ射撃をしたことで、暴動化がひどくなり、今危険地域になっているルンピニー、シーロムの交番は壊され、警察官はバンコクから逃げたという話もあります。
地方にいる軍隊がバンコクへ集まるという情報や、軍隊もどちらにつくかということで、本当に内戦になるのかという危機感がありました。
とにかく、今みたいにテレビで報道をしない(NHKもありません)し、インターネットもなく、情報源がないので、どれが本当の話なのか、わかりませんでした。(携帯電話もありません)

最後はプミポン国王が出て、張本人2人(スチンダー首相/チャムロン元知事)を呼びつけて、一喝しました。
テレビでその放送をやっていました。言葉は分からずとも、2人の表情は緊張を超えた顔だったのを覚えています。
翌日、あれだけ暴動していたのに、何事もなかったように終わりました。
私は、その翌々日にドンムアン空港から日本へ一時帰国しましたが、飛行場には戦車がありました。

今回も国王が出ないのか?という期待感はあるようですが、タクシン1人の問題なので、タイ人から見れば、国王は出ないという見方のようです。。

今、 暴動化しているバンコクですが、18年前の流血の惨事はもっとひどかったという印象があります。
ここまでならないように祈るばかりです。

では、今からゴルフに行ってきます。

テーマ:タイ・バンコク - ジャンル:海外情報

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